昭和4年巳年生まれ

snack212013-10-04

10月に入りましたが今日も未だ30度の気温でした。(1日・2日)
水曜の夜友人から電話が架かり「今から二人で行きますが・・・」
即、「お待ち申し上げます」と返信メールを致しました。
21時前にお2人様ご来店。一見してお連れ様は80代の女性でした。
お櫛は真っ白で後ろで一つに括られ可愛いブラウスをお召しでした
。(このお二人様は・・・どう言う関係か知ら?)
ご婦人はブラウスに12・3センチの美しい緑色のくねくねと曲がったブローチを為さって居ましたのですが、私がお尋ね致しましたら「へびです」「私は4年生まれの巳年なんです」と。(84歳でした)
一緒に来られましたT・Iさんとは「お友達!」と言われました。
ご婦人は伏見区の「竜馬通り」で「九里九馬」と言う屋号で喫茶、上京区でも「九里九馬」と言うお料理屋さんを経営なのです。
次々途切れることなく私もお話好きなのでご婦人のお話に引き込まれて行きました。
36歳の時にご主人様に先立たれ子供さんを3人抱えてお店を開店され
45・6年に成ると言われました。
この方はお金に縁の有る「巳年」その間に次々不動産が増えて・・
「ボーイフレンドも多いのですよ。綺麗に付き合っているので長く続くのです」「私がT・Iさんに今夜友達がやっているお店を紹介すると言ったのでスナックの名前を聞いたら「21世紀」と言ったのでこの名前で来たのです」と言われました(21世紀の屋号で!此れは自分で拍手を致しました。考えて々々決めた屋号ですから)
「今時20年以上お店を続けて居るだけでも立派」と褒めて頂きました。「でも、ソロソロ引退時です」と言いましたら「又、来て上げるから希望を持って頑張りなさい」「私は希望と言う言葉が大好きです」と言われました。

「九里九馬」の屋号の由来をお尋ね致しました。
「実はこのお店は以前は別の場所に有りました。京都市内ではなく
宇治市大久保町に駅前で40数年続いた古い喫茶店だったのです。
町の再開発により現在のところに移転しました。
店内の調度品もその頃のものですから40年以上使い続けています。
「九里九馬」とは今の宇治地方に居住していた豪族・栗隈氏にあやかって命名。栗隈氏とは土木工事の技術をもって大和政権に仕え「日本書紀」に仁徳天皇12年10月の条に「大溝を山背の栗隈県に掘りて田に閏く」と有ります。又その娘栗隈黒媛娘は采女として天智天皇との間に天智七年二月「水主皇女(もひとりのひめみこ)をもうけているとか。(此れも説明した頂きました)

小1時間でお帰りでしたラストソングは「希望」を皆で合唱。
たった1時間で・・・お顔・お話・余韻が残りました。
小柄なお体にはマダマダ・お話や知識の引き出しをいっぱいお持ちの様です是非続きのお話をお聞きしたいです。