鴨川納涼床の歴史

snack212013-05-12

戦乱の後豊臣秀吉の、三条、五条橋の架け替えを江戸時代に成ると付近に花街に形成され歓楽街に成りました。
江戸中期には約400軒の茶店が床机(写真)を川の浅瀬に並べたもの。

明治時代に成って7月8月に床を出すのが定着。
大正4年(1894年)に京阪電車開通により東岸の床が廃止になり大正時代には治水工事の為、床机が禁止され工事により「禊川」が出来ます。

慶長末年(1614)〜寛永年間
河原は遊女歌舞伎や女能などの遊興地となる。
元禄年間(1688〜1703)
四条河原の納涼床が賑わいを見せる。
宝永5年(1708)
3月8日洛中大火発生により都風俗が一時衰退。
宝暦年間(1751〜1763)〜天明年間(1781〜1788)四条河原は第二次最盛期を迎える。
文政9年(1826)水際の床机形式の納涼床から川に足をつける様子が「四条河原真景」に描かれる。

明治期
明治10年(1877)四条大橋東南詰の河原一面鴨川の水上に床机形式の納涼床が出る。
明治27年(1894)四条大橋東南詰めに高床式納涼床、三条橋下一帯にには日の高いうちから床机式の床が出る。
大正12年(1923)納涼床の基準が定められる。
昭和4年(1929)河川敷に半永久的な高床式の納涼床を設置することに期限が果たせられる。
昭和10年(1935)6月集中豪雨が発生。京都市内に大被害を受けこのときに出ていた納涼床はすべて流される。その後補修工事によって現在の姿となる
昭和17年(1942)太平洋戦争の灯火管制の納涼床が禁じられる
昭和26年1951)
4月京都府議会で協議会が開催5月に「鴨川の高床について」通達が」出され数軒の店舗が納涼床を始める。
昭和30年頃 40〜50軒の店舗が納涼床の設置を出願。
平成11年1999)5月1日〜9月15日までの夜床、5月のみの昼床の営業が認められる。
平成12年(2000)5月1日〜9月30日までの夜床、5月・9月の昼床が認められる。
平成25年(2013)納涼床の申請が100件を越えるまでになる。

(写真は明治時代の三条大橋の下・・花街の芸姑さん(怖い床)ですね。