回顧録(青春)

snack212006-07-06

一昨日40歳半ばのサラリーマンの部長さん!今も仕事と遊びを豪快に為さっているのが良く解ります。社会人に成られ暫くした時1986年に「MAHARAJA祇園」がオープン現在も有る祇園会館の4階に東洋一の広さ天井が高くキンキンキラキラの店内!日本のデイスコ史上男性5000円、女性4000円の料金も日本一。デイスコで扇子を持って踊ったのは京都祇園の舞妓さんが始めてで其れから「ジュリアナ東京」で流行ったんどすって・・
このマハラジャ祇園に殆んど毎夜通い踊ったと青春時代を振り返り祇園カードに特典がお有りだったのでしょう「毎夜3000円持っていたらマハラジャ通い」「その内スポンサーが付いて毎夜!」「キット年上の女性がスポンサーでしょう?」返事が無かったなー。
踊る為の衣装も作って今も自宅に置いていると。「見て見たいですね」何時か持って来て頂きましょう。1960年代に青春時代を送られたお方はフオークソング等を全員で歌う「炎」とジャズ喫茶に通われたお方は「河原町の三条と四条の真ん中の東側に有りロカビリーで活躍された平尾昌晃さん、山下敬二郎さん、ミッキーカーチスさん他、クレージーキャッツ、パラキン、他一世を風靡された方ばかりの出演でした。お客様で1930年前後のお生まれのお方は三条大橋の袂に「ナイトクラブ・ベラミ」で100人程の美人ホステスさんが居られる所で豪快に遊んだお話も為さいました。21世紀では80歳に近いお客様もお元気な方がいっぱいご来店くださいます。予科練で体力は充分付けておられるのか見習いたいものが有ります。先ずダンスがお出来に成ります。終戦直後鴨川の木屋町五条を少し北に大きな料理旅館の「鮒鶴」さんが大広間全部畳を上げて駐留軍のダンスホールに成ってよくここでダンスをしたなー。女の子にダンスを指導した事も有ったと話して頂きました。今はナイトクラブ・デイスコ・歌声喫茶も無く時代の移り変わりは速いものです。でも青春時代のお話をされるときはどのお客様もその時に戻って居られました。聞かせて頂いて居ます私も自分の青春時代を思い出させて頂き愉しいです。今度皆様に青春時代のお話を聞かせて頂きたいものです。