祇園祭の歴史

snack212008-07-14

今から約1100年前(869年)に京洛に疫病が流行り、庶民の間に病人、死人が多数出た。これは牛頭天王(ごずてんのう)のたたりであるとし、ご機嫌を取る為に神をまつり、祇園社(八坂神社の前身)を信仰し病魔退散を祈願したという。その方法は、日本全国66本の鉾をつくらせ、其れを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまりであると伝えられている。その後「祇園御霊会」とよばれ、この名が略され祇園会と呼ばれるようになった。はじめのころは、疫病流行の時だけ不定期に行われたが天禄元年(970)から毎年6月14日に行われるようになった。その間、保元、平治の乱に一時途絶え
足利時代に再興。しかし応仁、文明の乱に京都は焼け野原と化して折角の祇園会の興隆に一頓座をきたしたが、すでに町衆の手に支配されていた祇園会に対する熱情は容易に屈せず大乱の約30年程後、明応9年(1500)6月に再び山鉾26基が巡行したと伝えられています。お祭りの規模は日本三大祭りのひとつにあげられ歴史の長いこと祭事殆どが1ケ月にわたって繰り広げられる。そして1000年の伝統を誇り再三中断、再興を重ねて京都の歴史とともに歩んできました。また山鉾行事は、昭和54年、文化財保護法により、国の重要無形民族文化財にしていされました。17日に行われる山鉾巡行はこのお祭りのクライマックスです。これらの山鉾は、いずれも美しいゴブラン織り、つずれ織、西陣織等の美術品で飾られた
豪華なものです。もっとも大きな鉾は、重さが12トン、約3200貫、高さが26メートル、これを曳く人40人を要します。(資料から纏めてみました)どうぞ17日朝9時から、烏丸四条から出発されます。(山鉾32基巡行)動く美術館を鑑賞為さって下さい。厄除けに成りますよ。