花灯路祭りにも異変が起っていました

snack212011-03-13

 (12日から始まりました「京都花灯路」は中止に成りました)東北地方太平洋沖地震2日後、被害甚大の最中滋賀県堅田から15分の所の佐川美術館で開催の「楽吉左衛門」の外国の土で作成した楽焼を鑑賞。堅田駅で40分もバス待ちです。時間つぶしに2・3歩歩きました時・・・二つに折られた千円札1枚が落ちていました。1分ほど歩いた所に「KOUBAN」と書かれた小さな建物。交番でした!落し物として届けようと訪れましたが扉に鍵が掛ったままです。友人と相談して明日郵便局から義援金を気持だけ持っていこうと考えて居ましたのでその時にこの千円札も義援金の中に入れさせて頂こうと思いました。

以前も(十数年まえの地震の数日後)お客様が「ママ京都駅で千円拾った・・この千円札ママにあげるよ」とN・K社長さん。「有り難うーー」と言って受け取りましたが、この様なものを頂く訳にはまいりません。災害義援金にと郵便局に持参しN・Kさんの会社の名前と社長さんの名前を書いて送りました。その受け取り書をN・K社長に送りました所・・・「こんなママが居た」と朝礼でお話されたらしく其れを聞いてテレた私でしたが。
又今回もこのような地震災害のときに「千円札」を拾うなんて・・・(不思議!何かの役に立てるのだから良かった)

この後5時に帰宅その後又6時から東京から23年ぶりに京都に帰ってくる友人に「花灯路まつり」を案内する為に出かけました。先ず「知恩院山門」のライトアップの場所に。何時もなら大勢の人で歩けない位なのに人が少ない。円山公園内のせせらぎの川に竹を50センチほどの高さに斜めに切って、その中に蝋燭を点した数百本を並べてある場所・・・其処にも人が少なく・・・(観光客もきっと今回の地震の為に沢山のキャンセルがあったものと思います。公園内の未だ咲いてないしだれ桜の前で期間中地元の子供たちによる「火の用心・お囃子組」が火の用心をテーマにしたわらべ歌を唄い、拍子木、鉦、太鼓を交えたお囃子を奏でながら「天ぷら揚げてもいえ焼くな♪♪・・」と灯りと花の路を練り歩いていました。4・5キロの路の三年坂・二年坂清水寺の前のお土産物やさんにも殆ど人がガラガラの状態です。此れはもう地震の影響以外何物でもない事が一目瞭然です。案の定9時ごろ花見小路の所まで帰ってきましたが、四条通りも人が歩いていません。

きっと明日から当分お料理屋さんもスナックも夜に寄り道して飲んで帰る方も無いでしょう。此れはきっと3月中続くでしょう。

今日昼にT・Nさんからメール!!
関西電力のSさんから「節電のお願いが来たので皆協力して欲しい」との、お願いでした。勿論直ぐに私は「エアコン」を切りました。使っていない電気の線もコンセントを抜く事も節電になります。皆様も明日から協力して上げてくださいね。