三人 たかしさん?

snack212013-09-15

2ヶ月に1度、舞鶴から車を運転され京都までの長距離をここ数十年21世紀にもご来店いただいております、90歳の神原崙先生。
この日はまた気温が36度に蒸し暑さが重なり・・・せんせいがご到着されたのですが・・第一声が「暑い々々市内は暑い」

この日は土曜なので会社もお休み(3連休)なので「駿河台の空はくらかった」の本を10冊ほど買って頂きましたが全員はお揃いできませんでした。

貴重な体験談やその頃の軍隊の状況など・・・京都府福知山舞台が日本で一番強い舞台だったがガダルカナルで全滅!!
(この時に強い、弱いはどんな事で決められるのかも聞き損じ次回に質問します)何も解らない私・・・戦って手柄?相手を砲弾?

飛行機の名前も沢山お話していただきましたね。(バタバタ仕事をしながらでしたので飛び飛びで・・・(次は日曜にでも)

憲法の話、自衛隊の話、維新の会、橋本さんの事・・・
「今の憲法は立派だから棚において一度しまっておく・・そしてまた新しい憲法を誰かが作るといい。
今夜は先生(崙さん)の他に(K・隆さん)と(I・隆司さん)3人たかしさんが居られ何だか強い縁を感じ3人さんはお喜びでした。

(K・隆さん)は終戦は10歳で淀から和歌山のほうに疎開をして
また伏見の淀に帰った事。大阪の親戚の家に行ったとき屋根に大きな穴があちらこちらに開いて「此れは焼夷弾が落ちた!」とききました。(大阪空襲ですねこの時も東京に続き大勢が犠牲に)
(I.隆司さん)は昭和14年生まれで満州から引き上げて来られた時の親子の壮絶な毎日!日本に帰った時もあちらこちらの土地に移動して苦労も多々・・・次回にこの方のお話も聞きたいですね。

戦争を知らない世代の男性が・・・神原先生の本を買ってサインをして貰っていましたね。
神原先生が次回に来られますのは11月9日の土曜日の予定だそうです、(この時には沢山の質問を書いていきたく思います)